桜ロジック   一  風はもう春だった。  時折、その風が融けないで残っている雪をなでて寒さを思い出させるが、そんな冬の抵抗もすぐになくなるだろう。  幻想郷の厳しい冬はこうして去っていく。春はあっという間にここを埋め尽くす。 「そろそろ花見の季節だな」 隣を歩いている普通の魔法使いも同じようなことを感じたのだろうか、そんな話を振ってきた。 「そうね、今年は私がおぶって帰るなんてことにはならないようにしてよ」 「ぐっ……。そんなこと一年も覚えとくなよ…」 博麗神社での宴会はいつものことだが、花見の時はなぜだか雰囲気が違う。桜の持つ魔力だろうか、皆異様に高揚してしまうのだ。 去年、魔理沙はいつも以上に飲んで、いつも以上にはしゃぎ、いつも以上に早く潰れた。結局アリスが魔法の森の彼女の家までおぶって帰ったのである。 隣で魔理沙は苦い顔をしているが、アリスは特に気にしない。 紅魔館からの帰り道である。図書館でパチュリーも含めた3人でのお茶会だった。この3人で集まることはよくある。同じ魔法使いだからというのも あるが、単純に気が合うという理由の方が大きい。 湖から少し離れた道を歩いている。このまま歩いていけば人間の里を突っ切って魔法の森へ行ける。 「お、見ろよ。ちょうど桜の木があるぜ」  魔理沙が笑いながら言った。実に表情が豊かである。見ると、確かにこの先から桜並木になっていた。特徴的な黒い幹が連なっている。 「もうつぼみが出来てるんだな、本当にすぐに花見になりそうだ」 「なんだか嬉しそうね」 「ああ、春は好きだからな」  まだ咲いていない桜の木を見上げて、魔理沙は本当に嬉しそうに言った。  不意に冷気が頬をさすった。  魔理沙と同時に、冷気を感じた方を見る。  氷の妖精が桜の木の根元に座っていた。泣きそうな顔でこちらを睨んでいるが、そこを動く気配はない。 「お、チルノか。なんでそんな顔してるんだ?腹でも空いてるのか?」  魔理沙が少しからかうような口調で話しかけたがやはり動かない。ただ冷気を出し続けている。 「…本当にどうしたんだ?」 魔理沙は、チルノの普段とまったく違う様子に心配になったのか、近づきながらもう一度話しかけた。アリスも心配そうな表情をして近づく。 「………ないもん…」  涙がこぼれた。 「ここの桜は咲かないもん!次の冬までは絶対に咲かせない!」  大声でそう叫び、わんわん泣きだした。涙が氷の粒になってきらきら光りながら落ちていく。   二  チルノをなだめるのに少し時間がかかった。やっと話ができるようになったのは半刻ほどたってからだった。魔理沙とアリスは話しやすいように チルノの前に座っている。 「…で、いったいどうしたんだよ?桜は咲かせないってどういうことだ?」 「……そのままの意味だよ。ここの桜は来年まで咲かせない」  落着いたというより沈んだ口調でチルノが言った。 「そのままの意味?じゃあもしかして、私がもうすぐ花見になりそうって言ったのを聞いて泣いたのか?」  チルノはうつむいたまま小さく頷いた。 「あたいの周りはずっと冬みたいに寒いみたいだから、あたいがここにいれば桜を咲かせないようにできると思ったんだ。でも、ずっとここにいたら だんだんさみしくなってきて…。それでも頑張ろうと思ってたのに…………」  しだいに声が小さくなっていった。魔理沙はバツの悪そうな顔をしている。 「そこに私たちが来てさっきの話が聞こえたのね…。悪気は無かったの、ごめんなさい…」  自分の行動によってもたらされると期待していた結果を否定されるような言葉を聞いて、自分の思いを否定されたような気分になったのだろう。 そして、それが悔しくて泣いた。まるで子供のような感情だが、それが妖精である。自分たちが泣かせたのだから謝るしかない。魔理沙も同じように謝る。  アリスたちの言葉を聞いてチルノは少し笑って首を軽く横に振った。いつものような笑顔ではないが、その表情を見て少しほっとした。 「でも、なんで桜を咲かせたくないんだ?異変でも起こしたいのか?」 「…ううん、違うよ。咲かせたくないんじゃなくて、来年の冬まで咲くのを待って欲しいんだ。満開の桜をね、レティに見せたいんだよ」  顔を少し赤くして照れたように笑いながら、そうゆっくりと言うチルノはとても可愛らしい。 「レティに?」 「うん。冬がすっごく長かった時、桜の花びらだけが何枚か飛んできたんだ。その時きいたんだけど、レティは桜の花を見たことがないんだって。どんな風に 咲くのか、あたいが話してあげたらすごく楽しそうに聞いてくれた。だから…なんとかして見せてあげたいんだ。」  レティ・ホワイトロックは冬の妖怪である。だから桜が開花する時季には彼女は存在しない。冬の間、レティとチルノが一緒にいる光景はよく見かけていた。 それにしても、ずいぶんと慕われているようである。レティの事を話しているうちに、チルノの表情も明るくなっていった。 チルノが何のためにここにいるのかは分かった、しかし、チルノの方法には無理がある。アリスはこれをどう切り出そうか逡巡していた。 「でも、いくら桜が咲かないように寒いままにしていても、次の冬には咲かないんじゃないか?冬は結局寒いんだし、咲くとしても次の春だろ」 「…え?どういうこと?冬の次は春で、あたいの周りは冬だから…あれ…?」 最悪と言っていいタイミングで魔理沙が言った。アリスは天を仰ぐ。 「…えっと…えっと……あ…………」  魔理沙の言葉の意味を理解してしまい、チルノの動きが止まる。絶望に満ちた表情で力なく崩れる。 「…あたい、バカだよね……。そんなことに、言われるまで気付けなかったなんて……。本当に……あたい…」  そうつぶやくように言いながらチルノは泣き始めた。さっきのように大声で泣いたりはしない。嗚咽を漏らし、苦しそうに泣いている。 見ているのも辛いような泣き方だ。今度は悔しくて泣いているのではない。願望が叶わない、その絶望感で泣いている。だからこそこんなに苦しそうに泣く。 自分の思いを否定される事より、人に与えられないという事実の方がこの妖精にとっては辛い事なのだ。 失言に気付いた魔理沙が今更になってフォローしようとしているが、どうやら言葉が見つからないようだ。口を開きかけては閉じている。アリスも何も言えなかった。 苦しそうな嗚咽の声だけが聞こえる。  私たちは二度もこの氷精を泣かせてしまった。自分で出来もしない事をやろうとしていたチルノに原因はあるのかもしれない。しかし、この場に 居合わせた私たちが、今の結果を生んだのも事実だ。先程のように謝るだけでは償いきれない。 ならばどうするのか?できることは一つだ。この氷精の願いをかなえてやればいい。他人に手伝われたからといって嫌がるような願いならこんな泣き方はしない。 魔理沙がこちらを見る。目には決意が表れていた。どうやらこの魔法使いにもやるべきことはわかっているようだ。 「…よし、私たちがその願いをかなえてやろう!」 大げさに手を広げながら魔理沙が言った。 「…………?」  チルノは泣きながら魔理沙を見上げている。言葉の意味がよくわからなかったようだ。 「だから、私たちが次の冬に桜を咲かせてみせるってことさ」 「え…?」 「霧雨魔法店臨時開店だ。なんせ魔法店だからな、大抵の依頼は受けるぜ。冬に桜を咲かせるなんて朝飯前さ!」  親指を突き立てながら不敵に笑う魔理沙を、チルノは戸惑いながら見る。こちらを振り向き、同じように戸惑った目を向けてくる彼女に対して微笑みながら 小さく頷く。まだ泣いているが、目には光が戻ってきていた。 「でも…いいの?あたいは何もできないよ…?」 「もちろん報酬はもらうけどな。そうだな…冬の桜、私たちにも見せてくれ。それが報酬がわりだな!」  実に素敵に笑いながら魔理沙が言う。確かにそれは十分すぎる報酬だ。 「…うん、わかった。お願い魔理沙、アリス…」  目を赤くしながらチルノが言う。もう涙は流していない。 「よし!決まりだな!あとは私たちに任せとけ!」  そう力強く言った魔理沙を見上げて、チルノはかすかに微笑んだ。   三  出された紅茶はすでに冷えていた。  アリスと魔理沙は再び紅魔館に戻っていた。パチュリーと共に図書館の机で考え込んでいる。チルノはひとまず家に帰した。 彼女がかなり疲れていたというのもあるが、なによりここでの議論を見せるわけにはいかなかったのだ。 「…で、どうやってやるつもりなの?魔理沙」 「うーん…どうしようか?」 「なかなか骨が折れそうね…」  溜息をつく。思いつく方法が無いわけではない。幻想郷にはそういう事ができそうな人妖がいくらでもいる。時を操ったり、運命を操ったり、奇跡を起こしたり…。 あまつさえ花を操る能力なんて妖怪もいる。事情を話して協力を仰げば手伝ってくれる者もいるだろう。 では、なぜ私たちはそうしないでこんなに悩んでいるのか? 答えは簡単である。私たちが魔法使いだからだ。魔法使いは見えている解決方法には興味がない。探求こそが使命であり、生きている理由なのだ。だからこそ、 直接は関係のないパチュリーも協力している。彼女は単純に、その方法論を導きだすことに興味を抱いたのだろう。人間であるはずの魔理沙も、当然のように 自分たちで解決法を探すことを始めた。そんなあたり、彼女はかなり魔法使い的な思考になっているのだろう。あるいは元からそういう思考だからこそ 普通の魔法使いなんて名乗っているのかもしれない。 「そもそも、桜ってなんで春に咲くんだ?」 「白玉楼の奴らは春を集めて咲かしていたのだから、春度を感じて咲くんじゃないかしら?」 「じゃあ結局、春にならないと咲かないってこと?それじゃあ意味ないじゃない」 「あくまで、仮説よ、仮説。それに、そうだとしても春度を魔法で精製することだって、できるかもしれないじゃない」  半分冗談のような口調でパチュリーが言った。魔理沙と顔を見合わせて溜息をつく。  なかなか決定的な案が出ない。結局、図書館の膨大な蔵書から手掛かりを探す作業を手分けして行うことになった。もとより、そのために図書館に来たのだ。  …どのくらい時間がかかっただろうか、魔理沙の疲れ具合から見ると三・四日はたったのかもしれない。外の世界の本には分からない部分も多くあったが、 さまざまな文献からある程度の答えは出た。 「…つまり、単純にまわりの気温を高くしておけばいいのね?」 「ただ、高くすればいいんじゃないわ。一度気温が低い時季を挟んでからでないと。おそらく咲くのは暖かくしてから数日後ね」 「ほーチルノがやっていたことも、大外れってわけじゃなかったのか。やるなぁー」 「あんたは無理しないでそろそろ寝なさい。言動も怪しいし…」 「そうか?じゃあ一段落ついたみたいだし、そうさせてもらうぜ…」 魔理沙はそのまま机に突っ伏して寝息を立て始めた。パチュリーと二人して苦笑する。人間の体で魔法使いの思考を持つのは思っている以上に大変そうだ。   四  突然の夕立の中を紅魔館まで急いだ。  びしょ濡れで図書館に入られるのを嫌ったのか、客間の一つに通された。ここではいつものことだが、まるで用意されていたかのようにタオルが差し出される。 気温は高い、タオルで拭けば服はすぐに乾きそうだ。しわにはなるだろうが…。魔理沙は大きい帽子のおかげで体はあまり濡れずにすんだようだ。 感触を楽しむように顔をタオルにうずめている。  出された紅茶を飲みながら乾くのを待っていると、パチュリーが現れた。湿気を嫌がって乾燥の魔法を使っている。肺にはあまり良くなさそうだ。 「雨の中御苦労さま、お二人さん」  乾燥の魔法をこちらにも掛けながらパチュリーが言う。親切で、というより湿気が移るのを嫌ってだろう。 「ありがとう。で、準備はできたのかしら?」 「できたわ、必要な陣は構築済み。魔力の供給のほうはどうなの?」 「私の方はとっくに出来ているわよ」 「よし、これで準備オッケーだな」  3人して微笑みながら頷く。  冬の終わりにチルノから依頼を受けてから必要な情報を集めた。結局、桜のまわりの気温を操作して冬に咲かせる方法をとることになった。 地道だが、理に基づいた魔法使いらしい方法である。桜を囲い温度を調節する魔法陣の構築をパチュリーが、魔力を変換し陣へ供給するシステムの組込を アリスが担当した。魔理沙は、素となる魔力を継続的に供給する役目だ。今は夏である。今日から計画は実行に移される。そのために集まったのだ。  夕立である。しばらくしたら雨は止むだろう。  年が明ける前にレティに会った。話はチルノから聞いているようだ。どうやら隠し通してサプライズというわけではないらしい、というか、 あの氷精に隠し事は無理なのかもしれない。桜の花を見られる事より、チルノの思いの方が嬉しいようだ。  計画は滞りなく進行している。もうつぼみも出来ているし、数週間以内には咲きそうだ。     五  小雪がちらつくまっ白な風景の中、一角だけが桃色に色づいていた。  魔法陣の中はまさに春。レティはその外から嬉しそうに満開の桜を眺めていた。チルノはその周りではしゃいでいる。 アリス、パチュリー、魔理沙の三人は少し遠くからその光景を眺めていた。三人ともどこか誇らしげである。魔理沙が満足したように言う。 「依頼完了だな」 「そうね、お疲れ様」 「お疲れ様」  そっとその場から離れていく。冬の桜をあの二人だけのものにするために。  私たちはいつものようにあの図書室でお茶を楽しむ事にしよう。愉快な魔法の議論をしながら。                                                    (了)